映画:シビルウォー アメリカ最後の日
キャプテン・アメリカのやつではありません。
ひさしぶりに骨のある映画観たなあ、というのがまずでてきた感想です。
米国もトランプ大統領になり、次々と公約を実行に移し始めています。
米国内部でも一枚岩ではないでしょうし、この映画は今だからこそ、ほんの一枚向こう側にあるかもしれない未来を描いています。ありそうなんですよね。こういう空気感が。
考えてみた その1
米国では実際に、南北戦争(1861-1865)がありました。だからこそ、内戦のリスクをうすうすとどこかで感じているのかもしれないな、と想像しました。
武器は現代化しているにせよ。多民族国家だからこそ、ピリピリした衝突感、差別感は常日頃から身体感覚としてあるのでしょう。
とはいえ、日本だって、昔は鹿児島県と福島県が戦争していたり。(祖父世代は本当に相手県出身者にうらみつらみがあったよ、という話を同級生からきいたことあり)それをいまの僕らが引きずってるか?と聞かれると全くそういう気配はないに等しいでしょう。米国も同じではないか?といわれたら最初の説はあまり説得力がありませんね。
考えてみた その2
映画では陸軍の戦争になっていました。戦闘機も空を駆け抜けていました。しかし内戦でそんな高額な兵器をぽんぽん投入できるのだろうか?という疑問はわきました。
ウクライナでもイスラエルでも戦闘ドローンが安価で効果的な武器として使われています。日本人でもダンボール製のドローンつくってる人います。
考えてみた その3
映画でもっとも緊張感のあるシーンは、人種差別的思考からおきています。日本にいると他の国の人を差別する人を見聞きすることはあっても、自分が差別される側を経験することは少ないと思います。私はヨーロッパを旅したときに、ジャップと罵られたときの衝撃を覚えています。
僕らの子ども達はいま、歴史の転換点にたっています。
どうか戦争ではない手段で、人々が暴力的ではない手段のコミュニケーションがとれますように。